伊藤美来ちゃんがくれた、沢山のこと。

デビューが高校生だった私は、学業と仕事の両立というのはずっと当たり前のことで。
そんな学業との両立が終わってしまう事が、今では寂しく思います。
正直、大学の卒業を諦めそうになった事もあるし、辞めて仕事に集中しようと思った事も何度もありました。
でも受験を決意した日から「絶対に合格して卒業する!」って決めてたし、自分の力を信じてみたくて入学したので諦めずにここまで来れました。

大学卒業。 伊藤美来オフィシャルブログ「みく色のプロローグ」Powered by Ameba



先日、大人気アイドルグループ欅坂46の人気メンバーである長濱ねるちゃんが同グループからの卒業を発表しました。個人的には何の前触れもなく発表されたように感じたこともあり、あまりに予想外な一報には衝撃が走りました。長濱ねるちゃんと言えば、欅坂とけやき坂(現:日向坂)における核と言っても差し支えないメンバーです。本人のブログによると、今後も芸能活動を続けるのか、それとも芸能活動を引退をするのかどうかまでは明記されていませんでした。欅坂46がメジャーデビューを迎えた2016年4月からもうすぐ丸3年というなかでの突然の発表。3年の月日は我々ファンからすればとても短いもののように感じられます。しかし、アイドル本人にとっての3年という月日は計り知れないほど長いものだとも容易に想像がつくでしょう。3年の間アイドルとして輝いて、時には悩み、苦しみ、考えて考えて出したその答え…その答えが"卒業"の2文字だったのだろうと考えると涙がちょちょぎれて仕方ありません。長濱ねるちゃんという女の子はアイドルに憧れ、乃木坂46のとあるメンバーに憧れて、アイドルになりたくて欅坂46のオーディションを受けたメンバーであると認識しています。そんな彼女がなぜ大好きなアイドルを捨ててまで次の道へと進む決断をしたのでしょうか、とても気になりました。


話は180度くらい変わりますが、僕は伊藤美来ちゃんという声優さんのオタクです(伊藤美来さん、という声優に本記事を読んでくれる皆さまには少しでも親近感を持ってほしいという意味を込めまして"ちゃん"という敬称を本記事では用いていきます)。僕は彼女に2015年の4月の初めに出会ったので応援し始めてからもうすぐ丸4年になります。2015年4月以前の僕も声優さんのオタクという人種だったのですが、一人の声優さんを応援できたのはせいぜい2年という期間でした。このことから分かるように、僕はどんなに好きなものもせいぜい2年ほどしか好きでいられないという飽きっぽい性格の持ち主であります。そんな僕が何故4年も心を保つことができたのか今このタイミングでとても不思議に感じるのです。同時にその点についても考えてみたいです。


まず初めに、イベントやライブを通して彼女の姿を見ることに対して喜びを感じていたことは間違いのない事実であると言えます。伊藤美来ちゃんは数多く存在する声優さんのなかでも大衆の目からはアイドル声優というジャンルに分類される人だと思っています。実際、僕が初めて見た伊藤美来ちゃんの姿というのは2次元のアイドルのキャラクターのキャストとして出演している作品のライブイベントのライブビューイングでした。
まるで絵の世界から世界からそのまま出てきたような、自分の演じているキャラクターの生き写しのような、指の先や足の先まで芯の通った、ある意味で熱のこもったそのパフォーマンスは僕を釘付けにしました。かと思えば、各々のキャストが一言ずつ挨拶をする場面においてその作品と自身の演じるキャラクターに対する熱い想いや感謝の意を目を真っ赤にして述べる姿に、オタクとして憧れた都会の地へと大学への進学とともに引っ越してきたばかりだった僕はひどく感動し、心動かされました。それ以来というものの、伊藤美来ちゃんの声優としての華々しい活動を追いかけるようになり、出演するイベントにも足を運ぶようになったのです。


2つめに、お渡し会という直接話すことのできる場も割と頻繁に存在していたことも大きな要因でしょう。時々「お前は接近でどんなことを喋ってるのか謎」とオタクに言われることがありますが、何か特別なことを話しているわけでもないので返答に困ってしまいます。確かに、僕も通い始めの頃は伊藤美来ちゃんに認知の2文字をもらおうとアレコレ手を尽くした時期もありました。その当時の僕のお渡し会における言動というのは非常に子供っぽく、恥ずかしくて絶対に思い出したくないものです。ですが、その様子を良い意味で面倒くさいオタクと評してくれる方たちの存在もあり、同じく伊藤美来ちゃんのファンの方や同じ事務所の同期でPyxisというユニットの相方でもある豊田萌絵ちゃんのファンの方々、という風に知り合いが増えていきました。自分の応援している人に対して直接こういう形で感謝の気持ちや応援の言葉を表明できることは当たり前のことではありません。今となってはその1回でも決して無駄なものにはしたくないと思います。


そして、3つめは先ほど触れたような仲良くしてくださる方たちの存在です。これは結構大きな要因で、僕は2016年の秋頃とあるアイドルグループに興味が湧き、リリースイベントなどに一時は足を運んだのですが、その現場に全く知り合いがおらず、寂しくなってまたこちら側に戻ってきたという過去があります。仲良くしてくださる方の存在というものはオタクにとって非常に大きなものだと身をもって知りました。この場を借りてお礼を言いたいです。いつも本当にありがとうございます。



さて、このように、伊藤美来ちゃんを応援するに当たって、楽しいことやうれしいこと、良いことばかり…という訳ではありませんでした。思い返すと反省しなければならないこともたくさんあります。まず一つに世界に伊藤美来ちゃんのことを広めるという行動を僕は全くと言っていいほどしてきませんでした。今の世の中、日本全国世界各地のオタクの心の中には"推し"と呼ばれる気高く崇拝する存在が既に住み着いている現状というものがあります。そして、"推し"と呼べる存在はオタク一人にとってせいぜい多くても2,3人と相場が決まっています。僕にもファンの一人として、伊藤美来ちゃんの魅力をたくさんの人に知ってもらいたいという想いがあることは確かです。ですが、各々のオタクの既に埋まっている"推し"という座席に伊藤美来ちゃんを滑り込ませるように仕向けることは全く容易なことではありません。他人のオタクの心を僕一人の声で動かせるはずはないと今でもそう思っています。このような、いわゆる布教という行為ですが、自分には多くの人の心を動かせるほどの力というか、そういうものが圧倒的に足りないと感じています。反対に、これは良い点なのですが、僕はこの4年間で伊藤美来ちゃんの魅力というものにはたくさん気が付くことができている自信はあります。ですので、それを言葉に変えてtwitterを始めとするSNSやこのようなブログ記事という形で発信し、共有することをすればよかったのです。形はどうあれ、もっと自分から発信をすべきだったという反省と後悔の念があります。


大衆に向けて推しの素晴らしさを発信することをしなかった僕ですが、唯一その素晴らしさを積極的に伝えるように努めていた人が一人います。それが伊藤美来ちゃん本人です。みなさんは好きな声優さんやアイドルに手紙を書いたことがありますか?このことを手紙を受け取る側ではなく、送る側のオタクが言うのはおかしいかもしれませんが、手紙は本当に良いものです。応援している人に自分の想いを文章で伝えることができて、しかも自分の気持ちの整理もできる。まさに一石二鳥だと思います。オタクに向けて言葉を発信できなかった(しなかった)僕はそのうち伊藤美来ちゃんに手紙を書くことを始めました。伊藤美来ちゃんの魅力は伊藤美来ちゃん本人に知ってもらえればそれでいいと思うようになったのです。そして、伊藤美来ちゃんはとても優しいのでお渡し会の場において「手紙読んだよ!」に始まり「すごい良いこと書いてくれてる!」だったり「いつもたくさん書いてくれて嬉しい」という言葉を僕に何度もかけてくれました。そのことが嬉しかった僕はまたさらにたくさんのことを伊藤美来ちゃんに伝えるようになりました。ですが、この行動というのは、逆に言えば、伊藤美来ちゃんの素晴らしさを自分以外の人には知られたくなかったのだとも言えるでしょう。もしかしたら僕という人間は独占欲というものが強いのかもしれません…。知らなかった自分の新しい一面を発見できたことに驚きながら、ここまで文章を打ってきてよかったなと思うことでヨシとしていきます。また、こんな風にブログを書くことを僕は滅多にしないので、せっかくの機会ということで伊藤美来ちゃんの素晴らしさについても本記事に書こうとも思いましたが、それはまたの機会にしたいと思います。


このように、"推しの素晴らしさを発信する問題"については、外へ発信するのではなく、手紙にしたためてある意味で内側に貯め込むことで自己解決できたかのように思えました。しかし、内へ内へと想いを募らせる状態が長く続くと、また新たな問題が発生するのです。僕は伊藤美来ちゃんのことが大好きです。大好きな人のことはもっと深く知りたいと思うようになってしまうのは当然のことかと思います。そのため、伊藤美来ちゃんは普段から仕事に向き合うためにどのようなことを考え、どのようなことを自身の行動の指針として、キャラクターを演じたりステージに立っているのかを知りたいと思うようになってしまいました。しかし、そのことを伺い知ることは不可能でしょう。みなさんは自分の心の内を他人に言い当てられた経験がありますか?もし言い当てられた経験があるならば、その人はあなたのことをよく見てくれている運命の人レベルですごい人なのでしょう。僕も「あの時の伊藤美来ちゃんの心境は…」などと考えたことが幾度となくあります。しかし、いくら考えたところで自分の出した答えというのは推測の域を出ることはありませんでした。自分という人間は答えのないことに対して思考を巡らせて考察することを得意としなかったのか、ある時から考えることをやめてしまいました。前述した通り、他人の心の内なんて知ることができる訳がないし、知ったところでどうすることもできないもどかしさすらも次第に、勝手に、感じるようになり、考えることをやめてしまったのです。しかし、僕は声優さんの一挙手一投足に対して陶酔する行為を悪いことだなんて思いません。オタクに対して様々な考察をもたらしてくれる演者さんはなんて魅力的な方だとは思いませんか?みなさんにおいてはこれからも声優さんやアイドルに対してたくさんの考えを巡らせてほしいと思います。


伊藤美来ちゃんの魅力というものを世界中のオタクの皆さんにお伝えすることをしなかったことから始まった負のスパイラルですが、これで終わりであればよかったのですが、まだもう一段落続いてしまいます。それは、伊藤美来ちゃんのたくさんの良いところ、その魅力を知れば知るほど、その部分が変わってしまうことに気が付いた時のショックが大きかったというものです。具体的な例を一つだけ挙げていきます。僕は伊藤美来ちゃんの書くブログが大好きでした。それはそれはマメに更新される記事たち、その内容は日常的なことやアニメやゲームの出演情報、出演したイベントの感想…について彼女の独特な言葉遣いで綴られていました。それだけでなく、その記事を彩る伊藤美来ちゃんの自撮り写真はとても可愛らしいもので更新通知が届くと一目散に開くくらい本当に楽しみでした。しかし、ある時を堺に、何がきっかけだったのかも分からないまま、伊藤美来ちゃんはあまりブログを更新しなくなってしまいました。頻繁に更新されるよりも時々更新される方がありがたみがあるという意味では良いかもしれません。ですが、僕が好きになった伊藤美来ちゃんという人はブログをたくさん更新してくれる伊藤美来ちゃんでした*1。この背景には彼女が声を発するSNSというものが、ブログだけでなく次第にtwitterだったりInstagramだったりチョクメという有料のメールサービスだったりと多岐にわたり情報が分散してしまうようになったことや、通っている大学の課題やレポートなどのやらなければならないこと、そして声優としての仕事が以前よりも充実してきたことが挙げられます。もっと他の理由をアレコレ推測することも可能です。しかし、先程も述べたとおり答えは出ないものです。僕の好きだったあの頃の伊藤美来ちゃんはもう帰ってはこないのだ…と一人で勝手に悲しくなったこともありました。もしかすると自分はエゴイストなのかもしれません。この事実を受け入れ、ただ残念がることしかできないのかと僕は考えました。



オタクとしての僕に大きな影響を与えてくれた大好きな美少女ゲームに次のような台詞があります。

「この学校は、好きですか」


「わたしはとってもとっても好きです」
「でも、なにもかも…変わらずにはいられないです」
「楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ」
「ぜんぶ、変わらずにはいられないです」
  
「それでも、この場所が好きでいられますか」


この後に主人公が

「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか?違うだろ」


と返すのですが、この台詞、今、まさにこのタイミングで思い出したいものであるように感じます。たとえ好きなところが変わってしまったとしても、また新しく好きなところを見つければいいだけなのです。なんだか難しいことのように感じますが、とても簡単なことではないでしょうか。何故なら、僕の推しメンである伊藤美来ちゃんは常に最高を更新し続けてくれるからです。このように考えられるようになってからというものの、知らぬ間に陥っていた負のスパイラルから抜け出せるようになりました。自分という人間も過去の自分から少しだけ変わることができたし、一つ成長です。きっと、こんな記事をここまで読んでくださっている心優しいオタクのみなさんにおかれましても「自分の推しの好きなところを100個言え」という問題が出題されたならば余裕で100個答えることができるでしょう。みなさんがそうであるように、僕も伊藤美来ちゃんのことが大好きなので、これからも今以上に好きなところをどんどん見つけたいと感じていますし、見つけていける自信があります。


そして、もし変わってしまったとしても、自分の好きだったところというのは、ずっと思い出として残り続けます。今は違うかもしれませんが過去のその事実は決して嘘ではないのですから、そのことを自信を持って受け入れながら未来へと進むべきだとも思うようになりました。変わらないものなどありません。推しの良い変化を見習って、受け入れて、我々オタクもまた良い方向へと変わることができたのならどんなに素敵なことでしょうか。人の振り見て我が振り直せ。「あの頃とは変わってしまったな…」ではないのです。むしろ何も変わらない自分のことを恥じるべきなのです。「伊藤美来ちゃんはあれほど頑張っているというのに、自分は…」という自問自答を繰り返し、大いに反省をしたものです。どうせ変わるのであれば良い方向へと変わっていきたいですよね。


さて、新しい好きなところを見つければいい、それは簡単なことだと述べましたが、この行為にはそれ相応の努力が伴う場合もあるのではないでしょうか。募る想いというものがある一定の水域を超えてくると、好きであり続ける努力も必要になってくるのではないだろうかと言いたい訳です。自分は飽きっぽい性格なので、一つの物事をずっと好きあり続けることはとても難しいのではないかと感じています。我々のような人種が身近に感じられる例として、山のような数ほど存在する声優さんやアイドルに対して日々繰り返されるオタクの推し変という行為の数々がそれを表していると言えるでしょう。僕はこの事実に気が付いてからというものの、好きになることを恐れるようになってしまいました。しかし、始まる前から終わりを意識してしまうのは大変もったいないことであります。世の中の全オタクに対して声を大にして言いたいのですが、この好きでいられる時間はとても幸せなものなのです。声優さんでもアイドルでもコンテンツでも、自分が好きでいたその時間が短いにせよ長いにせよ、その時間が濃いものであればあるほどかけがえのないものになることでしょう。みなさんも僕と一緒に推しとの一分一秒を絶対に、大切に、大切にしていきましょう。


ここでようやっと冒頭の話に戻りたいのですが、長濱ねるちゃんもアイドルとしてのその日々は幸せなものだったと思います。しかし、そこには様々な葛藤があったのではないでしょうか。ファンから求められる自分のアイドル像、本当の自分の像とのギャップ…。そのなかで長濱ねるちゃんはアイドルを好きであり続ける努力をやめることで新しい道へ歩き始めることを決めたのではないでしょうか。あんなに好きだったアイドルに固執することをやめた。20歳の女の子が出したこの答えは素晴らしく、あっぱれな英断だと思います。この決断を自分に下した長濱ねるちゃんは、きっと、必ず、良い方向へと進んでいけるに違いありません。3年目の節目を迎えるにあたっての、この勇気ある決断を自分も見習いたいところであります。


それを思うと、あの飽きっぽい僕が伊藤美来ちゃんのことを4年の間も応援できたことはもはや奇跡的な何かを感じられずにはいられません。とても幸福で恵まれていたように感じられます。改めて、沢山の人に出会わせてくれて、そして沢山の大切なことに気が付かせてくれた伊藤美来ちゃんに感謝の意を表したいと思います。もちろん、伊藤美来ちゃんのことはこれからも見ていきたいし、目覚ましい活躍がとても楽しみです。



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そして、本日3月26日、伊藤美来ちゃんから通っていた大学を無事に卒業したというご報告がありました。これは大変めでたいことです。このブログは全人類に読んでほしいし読むべきなのでまだ読んでいない人は必ず読むように。大学を、学生を卒業し、仕事と学業という大きな2つの柱から一つがなくなり、これから成すことはお仕事の一本になる、これは大きな、そして良い変化です。これを機に伊藤美来ちゃんのこれからの"役者"人生がより一層華々しいものになると良いですね。これからも変わらず応援しています。

*1:誤解のありそうな表現しかできない文章力のなさ、もちろんそれは好きなところの一つに過ぎない